アイコン将軍家

ライン ライン 徳川家祥→徳川家定(温恭院):堺雅人
江戸幕府13代将軍。篤姫の夫。菓子作りが趣味。惚けた発言や数々の奇行から周囲からは「暗愚」と見られている。しかし、時折物事の核心を突く発言をし、斉彬には「ただの暗愚とは思えぬ・・・」と疑念を持たれていた。真実は国家の行く末を見通すほどの鋭敏明晰な人物。だが、硬直化した幕藩体制と意に添わぬ将軍職を押し付けられた自身の運命に絶望し、暗愚を装っていた。幼い頃から何度も毒を盛られており、そのために極度の人間不信に陥っていたが、篤姫との語らいに安らぎを見出し、政務や自らの後継者の問題にも次第に目を向けるようになってゆく。 「自分の家族である徳川将軍家の人々を守ってくれる人物」と見込んで井伊直弼を大老に据え、紀州家の慶福を後継に定め、篤姫には「慶福が成長するまでは後見として政務に関るよう」と遺言する。その直後に持病の脚気衝心の発作で倒れ、帰らぬ人となる。先例に則り、その死は妻である篤姫にすら1ヶ月近く伏せられていた。
江戸城開城を女中たちに伝える前、将軍家を滅ぼしてしまう事を悔やむ天璋院の前に幻影として現われ、これまでの苦労を励まし、後の世に「徳川の心」を残す事が望みであったと伝えた。

徳川慶福(よしとみ)→徳川家茂[菊千代]:松田翔太  第30〜42回
紀州藩主。血統的には家定の次の将軍に最も近く、井伊直弼らによって推されている。周囲への気配り、下の者に慈悲を以って接するなど、弱冠13歳にして君主の風格を備えており、篤姫にも好印象を残した。将軍就任後は篤姫に信頼を寄せ、彼女を母のように慕う。その後も才気煥発な面をたびたび天璋院に見せ、将軍の風格を備えつつある。
和宮にも誠意を持って接し、攘夷実行が不可能なことを説き、何よりもまず妻として大切にすると誓って彼女の心を開く。勅使に攘夷決行を迫られると、自らの意思を孝明天皇に伝えるために上洛を決心する。しかし朝廷での攘夷論は根強く、翻意を促す事には至らなかったが、時勢を改めて実感する事になった。その後、長州藩の反抗に際して出兵を決断し、自ら指揮を執る。自らが出馬することとで平和裏に戦が終結することを狙っていたが、朝廷へのご機嫌取りを優先する慶喜の独断専行に振り回される。後に大坂城で病に倒れ、天璋院や和宮の計らいによって侍医が大坂へ急派されたが、その甲斐なく亡くなった。臨終の際、軍艦奉行・勝鱗太郎に何事も成すことなく死んでゆくことへの無念の思いを吐露し、勝に天璋院と和宮の行く末を託した。

一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)→徳川慶喜:平岳大
江戸幕府15代将軍。元御三卿の一橋家当主で、当時は一橋慶喜と称する。前水戸藩主・徳川斉昭の七男。英明で知られており、斉昭や斉彬達によって家定の後継候補に担ぎ出されるが、父が大奥に嫌われていたため慶喜自身も斉昭の息子ということで大奥に嫌われ、さらには斉彬達に「将軍の地位に興味は無い」と言っていた。篤姫との初対面でも曖昧な態度を崩さず、篤姫に悪印象を与えた。
大老となった井伊直弼が勅許を得ないままアメリカとの通商条約を結ぶと江戸城に登城して直弼を詰問するが、逆にこれを罪とされて登城停止の処分を受ける。後に、島津久光の率兵参府の前に幕府によって春嶽とともに赦免される。しかし薩摩の力が働いていた事には不快感を露にした。久光主導による幕政改革で将軍後見職に任じられ、幕政に参画する。家茂の上洛に際しては、それを無駄なことと思いつつも様子を探るために先立って上京する事になり、先んじて攘夷の実行を朝廷に申し出て家茂の不興を買った。しかしその後も京都で朝廷対策に奔走し、蛤御門の変時には率先して朝廷を守った。その後も長州討伐の勅許を取り付けるなど、独断専行に走りがち。長州征伐に不参加を表明した薩摩に立腹し、薩摩を見限った。
家茂が急死すると、危急の時と言う事で将軍職を推されて就任。孝明天皇の信頼の元で京都二条城で政務を執ろうとするが、間もなく孝明天皇が崩御してしまい出足を挫かれる。小松帯刀の提言による列侯会議に参加するが、あくまで将軍としての威厳を保ちながら諸藩を軽んずる言動をしたために会議は分裂する結果に終わった。その後、土佐藩の建白と帯刀の説得に応じて、朝廷の政治能力の無さを視野に入れて大政奉還を断行する。しかし辞官納地は拒否する姿勢を見せ、大阪城で策を練ろうとするが、江戸で老中らが薩摩の挑発にのってしまったためやむなく開戦する。しかし掲げられた錦の御旗に戦意を喪失し、兵たちを置いて江戸へ逃げ帰った。その後、勝麟太郎の勧めで天璋院と会い、命を捨てる覚悟を示すが、天璋院に諭されて恭順の道を辿る事を決め、江戸城内、さらには上野寛永寺で謹慎に徹する。

徳川家慶(いえよし):斉木しげる
江戸幕府12代将軍。ペリー来航の混乱の中で俄かに病死する。

田安慶頼(よしより):長谷川ほまれ
田安家当主。幼い徳川家茂が将軍に就任すると将軍後見職となったが、程なく辞職している。息子の亀之助が将軍継嗣となると、亀之助とともに天璋院に謁見した。

田安亀之助→徳川家達(いえさと):吉武怜朗
(幼少:小林海人、少年:私市夢太)

田安慶頼の子。幼いながらも徳川家茂に時期将軍に推される。しかし揺れ動く政情への対処のために一橋慶喜が将軍職を継ぎ、その嗣子として置かれる事になった。その後、父慶頼とともに天璋院に謁見するが、天璋院は亀之助を利発な子と称した。徳川家取り潰しが回避されると、慶喜の後継となって駿府70万石に移封される。廃藩置県後は東京の天璋院の元に帰り、天璋院の元で書道や英語などの教育を受ける。

アイコン幕 閣

ライン ライン 阿部正弘(伊勢守):草刈正雄
老中首座。ペリー来航後の難局にあたり、島津斉彬・徳川斉昭などの親藩・外様雄藩と結んでの幕政改革を志向し、その布石として篤姫の輿入れを進めた。美男子で大奥での人気も高い。大奥の篤姫にとって、その存在は心の支えであったが、志半ばで急死する。

堀田正睦(備中守):辰巳琢郎
下総佐倉藩主。篤姫にはばかり、本来の名であった正篤(まさひろ)を正睦に変えた。阿部に代って老中首座に就く。阿部の死後は諸外国との交渉を一手に担うことになる。将軍継嗣問題では一橋・南紀の両派から味方となるよう誘われ、一旦は南紀派に属するも、通商条約締結の勅許を巡って朝廷との交渉が難航すると勅許を引き出すための支援と引き換えに一橋派に鞍替えする。しかし勅許を得ることは出来ずに江戸へ戻った。井伊直弼と共に家定から篤姫を政務に関らせる旨の遺言を受けるが、大老となって実権を握った直弼によって登城停止となり、老中職も罷免される。

松平忠固:松澤一之
老中。堀田とともにハリスの江戸出府の件について担当した。井伊直弼と結び南紀派の重鎮として行動する。

井伊直弼(掃部頭):中村梅雀
彦根藩主。徳川斉昭の攘夷論を現実に根ざしていない暴論と一蹴する。将軍継嗣あたっては「人物よりも血筋」を重視し、紀州藩主の徳川慶福(家茂)を推す南紀派の領袖となる。南紀派の幕閣・大奥の推薦を受けて大老職に就くと、勅許を得ないままアメリカとの間に通商条約を結び、これに抗議した一橋派の諸大名の処罰を断行した。
家定より慶福成人まで篤姫を後見として政治に関与させる旨の遺言を受けていたが、家定の死後はこれを反故にして天璋院と対立する。強い幕府を中心とした国家建設を目指して強権を揮い、『安政の大獄』起こして反対する人々を断罪し、さらに皇女を家茂の御台所として公武合体による国家の統一を画策する。しかし尊攘派志士たちからの強い反発を買い、水戸・薩摩浪士らによって桜田門外に襲撃され、有村次左衛門に討ち取られた。一連の行動は自らの信念に従った物であり、悪名を蒙ることもまた自らに課せられた役目であると考えていた。その考えを知った天璋院はその私心の無い姿を認めるようになる。

脇坂安宅:櫻木健一
老中。井伊とともに幕政にあたる。井伊や安藤信正の失脚後も引き続き幕政を担当し、島津久光の率兵上洛を警告した。参府した勅使・大原重徳との交渉に努めるが、大久保らの脅しに屈して勅命を受け入れた。

間部詮勝:谷本一  第28〜30回
老中。篤姫に斉彬が亡くなった事を伝えた。また井伊が実権を握ると幕政に参加する。安政の大獄の際には井伊の命でその執行に当たった。

安藤信正(対馬守):白井晃
老中。井伊大老から将軍家茂に皇女を降嫁させる計画を打ち明けられる。井伊の死後はその遺志を継いで朝廷との交渉を担当し、和宮降嫁を実現させる。しかし、大局を見通す目と決断力に欠けており、とりあえず降嫁を実現させるために実現不可能な攘夷を誓うなど詭弁を弄し、さらに和宮降嫁を円滑に進めるために薩摩藩に命じて天璋院の帰国を促す文書を提出させるなど姑息な計略を巡らすが、かえって天璋院の怒りを買い叱責を受ける。さらに和宮降嫁が尊皇派から激しく反発されて、坂下門外で水戸浪士たちに襲われ負傷、失脚の憂き目に遭う。

久世広周:志賀廣太郎
老中。本来は伏せておく家定の薨去を篤姫に内々に伝えた。井伊の死後は安藤信正とともに政務を執るようになり、安藤の失脚後も幕閣に留まる。島津久光が率兵参府を図った際、天璋院との関連を警戒している。

板倉勝静:西田聖志郎
老中。島津久光が兵を率い、幕政改革を訴えて江戸へ向かうと、外様藩である薩摩藩の分不相応な行動に異議を唱えている。勅使との交渉に脇坂らとあたり、改革の不能を唱えた。また家茂の長州征伐にも出陣した。徳川慶喜の代には二条城での諸侯の会議の司会を務めるなど、慶喜の側近として近侍し、薩長軍との戦闘の際には重臣たちに出陣の号令を掛けた。鳥羽・伏見での敗戦後は、勝麟太郎らとともに官軍との戦闘について思案する。

小笠原長行:伊集院八郎  第42回
老中。家茂の長州出兵に従う。出兵命令に応じない薩摩の大久保一蔵を叱責するが、のらりくらりと回避されてしまう。

松平康英(周防守):佐藤正宏  第43回
老中。徳川家茂が急死した際、天璋院に家茂の後継に一橋慶喜を推す。家茂は田安亀之助を嗣子とする遺言を残していたが、大事の時である事を説いて天璋院を承諾させた。

アイコン幕 臣

ライン ライン 勝麟太郎→勝海舟:北大路欣也  第32回, 第36〜50回
海軍伝習所教授。開明的な思想を持っており、また何事も直言するまっすぐな性格。そのため天璋院には好印象を持たれる事になる。咸臨丸が渡米する際にその任に就く。帰国後は島津久光の率兵参府による薩摩藩の台頭に危機感を覚え、安政の大獄から赦免されたばかりの松平春嶽に接近する。春嶽の屋敷で対面した帯刀に、自分の考えを力ずくで押し付ける薩摩のやり方は「下の下」と厳しく非難し、「上等な人間は力でなく心で他人を動かすもの」と諭した。また海軍創設を考えており、その持論を坂本龍馬に説いたり、家茂を軍艦に乗せようなどと画策している。家茂上洛の際、拝謁の機会を得て家茂に攘夷を用いて攘夷の不可能を悟らせるという建策を行い、海軍操練所開設の許可を取り付けた。しかし門下に過激志士がいた事から一転して経営危機に陥り、薩摩藩を頼るようになる。また軍艦奉行職も罷免され蟄居した。しかし家茂が大坂で病に倒れると、家茂直々の命で復帰。家茂の臨終にも立ち会い、天璋院と和宮の行く末を託された。
徳川慶喜が将軍に就任すると、幕府の軍制改革に奔走。大政奉還後に弟子の龍馬を失うが、日本のために奔走した龍馬や帯刀に心を動かされ、天璋院とともに徳川家を守る決意を固める。京都で薩長軍に敗れて江戸に逃げ帰った徳川慶喜が謹慎に入ると、対薩長の戦略を一手に任される事になり陸軍総裁に就任。官軍との戦闘回避を訴える。そして江戸に進駐した西郷と直談判し、天璋院から託された島津斉彬の手紙を切り札に、江戸城無血開城を勝ち取った。
徳川家が駿府に転封されるとそれに従って、苦境に立たされた徳川家を支える。その後は天璋院の元をたびたび訪れ、一番の話し相手となる。

ジョン万次郎:勝地涼  第5回, 第6回, 第32回, 第41回, 第45回
土佐国出身の漂流民。アメリカから帰国したところを保護され琉球から薩摩に護送される。斉彬に意見を求められ、忠教の海防策を「話にならない」と一蹴。欧米諸国と日本との技術力の差を説き、薩摩領内の砲台建設工事にも携わる。また、小松清猷の屋敷で篤姫・尚五郎らと対面し、レディファーストの精神や自由恋愛など女性がひとりの人間として扱われているアメリカの様子などを話した。篤姫に想いを告げようか迷う尚五郎には想いを告げるべきだと励ました。
咸臨丸の渡米に伴って通訳として幕府に登用される。勝の配慮により献上品のミシンを届けるために大奥に上がり、天璋院(篤姫)と再会。思い出話に花を咲かせる中で尚五郎が篤姫に想いを寄せていたことを明かした。その後は帯刀の元で薩長同盟に力を貸し、グラバーとの商談では通訳を担当した。同郷の坂本龍馬の没後は土佐藩を気にかけて、帯刀の元を離れた。

深谷盛房(ふかやもりふさ):野村信次  第10回
海防掛。老中阿部正弘らとペリー来航などについて協議した。

伊東玄朴(いとうげんぼく):徳井優  第25回、第28回
御典医。家定が病に倒れた際に診察を担当したが、本寿院の命を受けて篤姫には詳しい病状を知らせなかった。

川路聖謨(かわじとしあきら):本多晋  第26回
旗本。アメリカとの通商条約承認の勅許を得るために、堀田正睦に従って岩瀬忠震と共に上京する。

井上清直(いのうえきよなお):吉満涼太  第26回、第28回
旗本。ハリスとの条約交渉を担当している。調整を重ね、最終的にはハリスとの条約に調印した。

岩瀬忠震(いわせただなり):吉見幸洋  第26回、第28回
旗本。井上清直らとともにハリスとの交渉を担当する。さらに条約の勅許を求めるために上洛した堀田正睦にも従った。

久貝因幡守(くがいいなばのかみ):藤木孝  第31回
安政の大獄で捕縛者の詮議の奉行を務めた旗本。江戸に送られてきた村岡を詮議するも、その堂々たる態度に萎縮する。

木村摂津守(きむらせっつのかみ):小林勝也  第32回
軍鑑奉行並。勝らを率いて咸臨丸で渡米する。勝と共に家茂・天璋院と対面した際には何事も包み隠さず直言する勝の扱いに苦慮していた。

技師:原康義  第40回
写真技師。西洋から伝わった写真機で天璋院・和宮・家茂を撮影した。その後、家茂夫婦の写真も撮影している。

滝川具挙(たきがわともたか):高橋耕次郎
大目付。大坂城で徳川慶喜の側近として仕え、慶喜が薩長軍との開戦を決めると、朝廷への薩摩藩討伐の願いを持って上京する。

松平容保(まつだいらかたもり):志村東吾  第46回、第47回
会津藩主。徳川慶喜とともに薩長軍との戦で指揮を執るが、薩摩軍の謀略によって錦の御旗が掲げられた事に憤慨する。江戸に戻り官軍が接近すると、榎本武揚とともに防戦を訴えるが勝麟太郎に制止され、勝を腰抜けと非難して中座した。

榎本武揚(えのもとたけあき):鈴木綜馬  第47回
海軍副総裁。朝廷軍が江戸へ近づくと、積極策を打ち出す。しかし勝麟太郎に一蹴されると、憤って席を立った。

ウィキペディアより引用

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